sppc666のブログ

写真とは「真ヲ写ス」こと

胡蝶の夢

2018年6月撮影

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 蝶にからめて、タンポポアジサイをあしらっております。無為自然を説いた老荘思想が人生哲学として正しいかどうか、ただの凡人である私にはワカリマセン。けれども作為を嫌う傾向は自覚しております。

 女性の被写体を撮り始めた頃に撮っていたsattinさんは、無為自然とは対極にある人でした。

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sppc666.hatenablog.com いつも撮影会でsattinは写真映えするようにバッチリ撮影用のメイクを施し、訓練されたポージングをバシッと決めて、「さあ、いまお撮りください」とばかりに視線を配っていきました。いってしまえば作為そのものですし「sattinを撮る」というよりも「撮らされている」ようなものでした。それに気づいてから、自分の作風が変わっていったように思います。

 カメラの前で棒立ちになってしまうような素人さんを、どう撮るか。その方が面白くなってしまったのもあります。一時期、田舎町の営業写真館で長期入院したカメラマンさんの代理を勤めましたが、私に声がかかったのは、それまでに多くの素人モデルを撮っていたからでした。多いときは一日に30組の家族を撮っていましたから、いろいろな職種の様々な階層の人を撮りました。ただ、共通しているのは、みなさん被写体として経験が無い人でした。そりゃあそうです、本職がモデルだのタレントだのという人が、田舎の営業写真館を利用することはないでしょう。

 そんなわけで、営業写真館のカメラマン代理をやった経験は、いまも生きて居ます。仕事として撮っていたときは呼吸を合わせるのが難しいと思わせられた素人さんですが、趣味で撮るときは、わざと呼吸をはずしたって良いのです。ラストに持ってきたのは、ちょっと呼吸を外したタイミングで、うつむいたところを撮りました。無為自然を演出しようとするのもまた作為ではありますが、見る人が「わざとらしい」と思わなければ成功だったかなと思います。