sppc666のブログ

写真とは「真ヲ写ス」こと

オールドレンズに人間味を感じます

2019年9月撮影

 オールドレンズで撮った写真には、それぞれのレンズの持ち味を感じます。今回、御披露したのは、1965年に製造されたNikkor-S Auto 55mm f1.2で撮りました。4枚目のアップだけは1966年製造のNikkor-Q Auto 135mm f3.5です。

 もともと私は1980年前後に写真趣味にのめりこみ、数年間は稼いだバイト代をフイルム代と現像代につぎこんでおりました。その頃から15年くらいのブランクを経て、2000年頃からデジタルカメラで撮り始め、そこからまた20年くらい経ちます。

 デジタルで撮るようになって思ったのは、フイルム時代の写真に感じた透明感や立体感が、デジタルだと感じにくいということです。感じ方というものですから、データで示せるものではありませんけれど、確かにデジタルと銀塩とで写真の印象は違います。

 そうした違和感の根源はなにかというと、銀塩からデジタルになったということよりも、むしろ使用するレンズの違いじゃないなのかな、そう思ってNikon Dfを使いはじめました。亡父が遺した古いNikkorをつけて使えます。

 こうやって撮ってみて思ったのは「案外、普通に撮れるな」ということです。もっとクセの強い絵柄になることを期待していたので拍子抜けしました。ただ、透明感は新しいレンズで撮るよりも強いです。

 比較対象として、オリンパスのE-M1で撮ったのを1枚どうぞ

 解像力は高く、ノイズは少ないけれど、透明感ではオールドレンズに劣っていると、私はそう感じるのでありますが、いかがでしょうか?

 クラシックのオーケストラは近年に至って「正確に」演奏するようになっています。むかしは近衛秀麿なんて指揮者が、ベートーヴェンモーツァルトなどの作品を演奏するとき、その都度楽譜に手を加えて改変してしまうなんてことがありました。いまの価値観だと、機械のように正確に演奏するのが至高の芸術なのでしょうか? だとすればシンセサイザーがオーケストラにとってかわって話はオシマイじゃないかと思うので、演奏する側が楽譜の解釈するうえで、どれほど人間味を盛り込めるかが肝心じゃ無いかと思うのですがねぇ。

 たぶんですが……レンズの設計も、カメラが誕生する以前の望遠鏡や鉱山用の測量機器などから数えると数百年も積み重ねがあって、すでに最適解へ導く方程式みたいなものがあり、いまはそれを電算機で計算していることでしょう。ある程度の価格帯になると、そうした最適化の条件をケチらずに盛り込んで設計しているでしょうから、高価なレンズほど無個性になってしまうのかなぁと勘繰っているところです。

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