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写真とは「真ヲ写ス」こと

フイルム時代晩期

 今回の投稿は、大昔に35mmネガフイルムで撮った3枚です。組んでみようと思ったけれど、組み写真と称するには不満が残りました。

 

2003年12月撮影

 最初に紹介がてらの全身を置きました。おわりには振り向きを置いて、「はじめ」と「おわり」はこれでヨシとしましょう。しかし、うまく流れていきません。

 組もうと思ったら、無駄と思えるような捨てカットもバシバシ撮って置かないといけないのですが、それはデジタルに移行してから可能になったことでした。フイルム代や現像代などのランニングコストがかかるので、後日のために捨てカットを撮って置くことが躊躇われるのです。

 ネガで撮影した懐かしい味わいの写真を画像庫から引っ張り出すとき、まず思ったことは「撮った枚数が少ない」ということでした。デジタル化して保存してあったのは36枚撮り4本分に過ぎません。いまの私なら2~3時間の撮影で500~700枚撮ります。

 撮り足りないとパーツが足りないせいで組みようがなくなります。この3枚の流れは、「公園に来ました」はわかるし「帰ります」もわかるけれど、最初がベンチで腰掛け、次が噴水で座り、最後が橋で立ち姿の振り返り、と、場面転換が唐突に感じられますし、3枚を繋ぐのはモデルの服装くらいしかありません。もし、繋ぎのカットを入れて5枚組みにしたら、もっと流れたことでしょう。しかし、この3枚では流れが弱くて、繋がりも薄い、組み写真と称するのはいかがなものかと、われながら思います。

 

 ただ、それでも「飽きずに見て貰う」ことは工夫しています。その工夫とは、結論を先に言うと「類似カットの排除」です。同じ人物が、同じ服装で、似たような表情をして、変わり映えしないポーズで写っている……そんなのを何枚もズラズラ並べて見せられたら、よほど巧い写真ならともかくも、私程度の技量だと見る人は飽きるに決まってます。

 人物写真を並べるうえで、顔の向きを違えたり、アップと全身を入れたりすると変化を感じさせることができます。また、立っている、腰掛けている、座っている、寝そべっている、などでも変化をつけられます。ただ、寝そべっている場面の次に、いきなり躍動的な写真には繋がらないので、場面転換が要るでしょう。今回投稿した3枚ですと、腰掛け→座り→歩き、という変化ですが、場面転換がうまく行っておりません。

 変化がなければ飽きられるけれど、変化させるなら繋がりをつけなきゃならない。

 私は、常々そう考えながら撮影しています。