sppc666のブログ

写真とは「真ヲ写ス」こと

胡蝶の夢

2018年6月撮影

 きょうの投稿のタイトルについてはコチラをどうぞ。

kotobank.jp
 蝶にからめて、タンポポアジサイをあしらっております。無為自然を説いた老荘思想が人生哲学として正しいかどうか、ただの凡人である私にはワカリマセン。けれども作為を嫌う傾向は自覚しております。

 女性の被写体を撮り始めた頃に撮っていたsattinさんは、無為自然とは対極にある人でした。

sppc666.hatenablog.com

sppc666.hatenablog.com いつも撮影会でsattinは写真映えするようにバッチリ撮影用のメイクを施し、訓練されたポージングをバシッと決めて、「さあ、いまお撮りください」とばかりに視線を配っていきました。いってしまえば作為そのものですし「sattinを撮る」というよりも「撮らされている」ようなものでした。それに気づいてから、自分の作風が変わっていったように思います。

 カメラの前で棒立ちになってしまうような素人さんを、どう撮るか。その方が面白くなってしまったのもあります。一時期、田舎町の営業写真館で長期入院したカメラマンさんの代理を勤めましたが、私に声がかかったのは、それまでに多くの素人モデルを撮っていたからでした。多いときは一日に30組の家族を撮っていましたから、いろいろな職種の様々な階層の人を撮りました。ただ、共通しているのは、みなさん被写体として経験が無い人でした。そりゃあそうです、本職がモデルだのタレントだのという人が、田舎の営業写真館を利用することはないでしょう。

 そんなわけで、営業写真館のカメラマン代理をやった経験は、いまも生きて居ます。仕事として撮っていたときは呼吸を合わせるのが難しいと思わせられた素人さんですが、趣味で撮るときは、わざと呼吸をはずしたって良いのです。ラストに持ってきたのは、ちょっと呼吸を外したタイミングで、うつむいたところを撮りました。無為自然を演出しようとするのもまた作為ではありますが、見る人が「わざとらしい」と思わなければ成功だったかなと思います。

しまい忘れてますよ

2009年6月撮影

 

 ネコたちの溜まり場になっていた公園にいた白猫です。たぶん仲間を待っていたのでしょう。舌を仕舞い忘れたまま寝ていましたので、お節介ではありますが、声をかけてみました。

 舌を出したまま顔を向けてきたので、アカンベされたみたい。

 本当に眠りたかったのか、ニンゲンの相手が面倒で狸寝入りなのかはワカリマセンが、再び眠りに落ちました。

 もはや声をかけても反応しません。

 オッドアイ(左右の目の色が異なる)だったり、団子尻尾だったり、特徴ゆたかなネコでした。同じ場所で2015年11月に再会するのですが、まぎれもない同一個体でした。その6年間、宿無しのネコが生き延びていたとは敬服に値します。私もまた心臓バイパス手術などで辛くも命を繋いだあとだったので、再会は嬉しかったです。

 いまは、その公園でネコを見かけることはありません。なにかネコが忌避するような対策を施したようです。首輪をつけた飼い猫たちも遊びに来ていたネコの溜まり場は、消えてしまいました。ベンチでネコを膝に乗せて将棋をさしていたお年寄りもいなくなり、たまに通りかかる人がいるばかりになりました。

デジタル黎明期

2002年6月撮影

 この時期は、デジタルカメラの黎明期でした。使用したのはオリンパスの「CAMEDIA C-2100 Ultra Zoom」という機種です。レンズは固定式で、光学10倍ズームを搭載していました。聞いたところではキヤノンが作ったレンズだったそうですが、なかなか使い勝手の良いレンズでした。センサーは1/2CCD総画素数211万画素で、ちょっとISO感度を上げると絵面がザラッとなりました。それよりなにより、ラチチュード(寛容度)の狭さが、いまの機種とは全然違います。寛容度とは、明るさ暗さを表現しきれず真っ白になってしまったり、真っ黒になってしまう、その振れ幅が広いか狭いかです。

 ネガフイルムの場合、およそ8段分の寛容度といわれます。写ルンです等、レンズ付きフイルムは、シャッタースピードも絞りも調節できないけれど、なにかしら写りはしますよね。あれは、フイルムの寛容度の大きさを頼っているのです。たとえば、日向と日陰では2段や3段明るさが違います。晴天下の屋外なら、日向で1/125sec f11くらいですけれども、日陰だと3段さがって1/125sec f4くらいです。それくらいの幅は、ネガフイルムなら許容してしまうのです。

 それに対して黎明期のデジカメのラチチュードは極端に狭いです。ここに掲げたラストの写真は日陰で撮っていますが、脚に木漏れ日があたった部分は白く飛んでいます。いまのデジカメなら、こうはなりません。できるなら、タイムマシンに乗って、現在の私の技量と、最新のカメラとで撮り直したいものです。

 このモデルは、当時ネットアイドルとして活動していた人です。まだブログがなかった頃、女性が自分自身をコンテンツとする個人サイトを運営、ランキングサイトで投票順位を競っていた時代です。ネットアイドルはサイトに掲載する写真が必要なので、無償で撮らせてくれる場合もありました。私は些少ながら、この人に謝礼を出していたように記憶しています。ほんのカタチばかりでしたが。

 どこで調達してきたのか、このセーラー服は着古したホンモノでした。こんな顔立ちで化粧気の無い人が着ているものですから、行き会う人からは父娘に見えたようです。その頃、私はアラフォー、この人は見た目がこんなでしたからね。私は援助交際を疑われるのがイヤで、撮影のときはいつもダサイ服を着ていましたから、なおのこと、そんな風に見えただろうと思います。あまりにダサイ恰好でしたから移動の際に離れて歩くモデルも少なからずいましたが、この人はわりと平気だったようです。

 被写体としては、たいへん相性が良い人でした。この時期、まだ組み写真の修行をはじめる前なんですが、ちゃんとバリエーションが撮れています。かわいらしい人なので正面向いてニッコリがまた似合いましたが、どう撮ってもかわいらしい、死角が無い人でした。このあと、私の個人サイトに写真を掲載したところ、グラビア撮影の有名プロから私にメールが来て「この人を撮るとき一緒に撮影させて欲しい」と、申し入れがありました。それが現実のこととなるとは、このときは思いもしませんでした。

アートは「言った者勝ち」です

2016年6月撮影

 根津神社から上野公園まで、梅雨の晴れ間に歩き回って撮りました。たっぷり歩かせてしまったので、このモデルさんには申し訳なく思っています。

 撮影経験が乏しく棒立ちになってしまう人なので、振り返りとか、首を傾げてもらったりとか、アングルを工夫したりとか、バリエーションを稼ごうとしましたが……このコーディネート、どう撮れば正解なのかわからずじまいでした。

 白セーラー服は私からお願いして着ていただきました。鈴の付いた首輪や、アクセサリーをぶらさげた鞄などのコーディネートは、この方によるものです。いまどきのJKにも見えないし、この着こなしが一種のアートなのでしょう。オリジナルのコスプレじゃないのかとも思いましたが、その恰好のまま堂々と公共の場に出ているのですから、奇抜なファッションに区分されるべきでしょう。

 ランチはちょっと高めのお店を選びましたが、着替えずに入っちゃったんですよね。お店の格は低からず、サマードレスの有閑マダムがアイスティーを飲んでいるわきで、
奇妙な恰好をしながら遅めの昼食をとる女の子が熱心に写真のチェックをしている図はどう見えたでしょうか。上野は芸術の町でもありますし、この出で立ちも一種の「アートです」と言ってしまえば、言った者勝ちではあります。

 なんというか、不思議な個性を持った人でした。撮影後に着替えて喫茶店に行ったのですが、その店の主みたいなラグドール(猫)と、言葉によらないコミュニケーションしちゃってました。触らせてくれないネコなんですが、見つめ合って何かしら意思疎通が出来ている雰囲気です。



千載一遇でした

2020年6月撮影

 声優で、前は北海道で活動なさっていた伊香彩野(いこうさやの)さんです。Twitterで存在を知り注目していました。その伊香さんが活動の場所を首都圏に移すべく上京なさり、都内で自主企画撮影会を開催したときに撮った写真です。

twitter.com

 以前から伊香さんを「撮ってみたい」と思っていました。北海道では撮影会にモデルとして参加なさっていたので、伊香さんのことを被写体として関心を持っていたのでした。そんなわけで、都内で開催される伊香さんの自主企画撮影会は千載一遇の機会でした。

 そもそも撮影会モデルが本業だという人はいません。みなさん、なにか別に目指すところがあったり、そのほかに生活の糧を得るための仕事があったり、事情は様々です。伊香さんの場合は「声優志望」を掲げながら活動する看護師さんでした。いまは「新人声優」とプロフィールに示されるようになっています。着々と夢を叶えておられる御様子です。

 本当のファンならば、ライブなど撮影会以外のことでも応援しなきゃなりませんが、私などは撮影会に参加するだけなので、ファンと言えない存在でしょう。なにぶん、持病のせいで混雑した電車に乗れないくらい人混みが苦手、スタンディングで聴くライブ会場を敬遠しているといった都合はあるにせよ、まことに申し訳ないことです。

親愛の情で撮りました

2005年6月撮影

 

 私が「たぬき写真工房」という看板を掲げてRopLibという電子書籍サイトで活動していた時期に、看板モデルの一人だった人です。ときに神々しいほど美しい表情を見せる人でした。惜しいかな、その表情をカメラで捉えることはできませんでした。レンズが向けられていない、緊張が解けたときじゃないと、あの表情にはならなかったのだろうと思います。

 ブログというものが流行りはじめる少し前、この人は個人サイトを運営していましたが、いわゆるネットアイドルとも違っていました。なにか自己表現をしたいが、なにをどう表現すべきか自分でもわからなかったんじゃないかと思います。

 ずいぶん気まぐれな人でしたが、撮影をすっぽかしたり、ドタキャンしたことは一度もありませんでした。気分が不安定で、連絡が途絶えることもあったけれど、撮影には休まず遅れず、必ず来てくれました。

 私が某撮影会のスタッフとして一部門を任されていたとき、この人を撮影会モデルに起用したことがありました。そのときの参加者さんから「兄妹のようだな」といわれたのを覚えています。顔が似ているとかじゃなくて、互いに異性としての関心がないせいで会話に遠慮が無い様子を見て取ったのだろうと思います。まさしく御明察で、この人に対して親しみはあったけれど、恋愛感情に類するものはありませんでした。

 そういう関係性は、写真にも影響するでしょう。長い年月を経て、あらためて見返すと、たしかに恋慕の情を込めて撮った写真じゃないと思えます。

 中級者と呼ばれていた素人カメラマンが上級者と呼ばれはじめる頃、アンダー(暗くする)方向に振るようになるものです。それは「中級者と違う写真が撮れる」という自己アピールを、無意識のうちにやっているのでしょう。この投稿の5枚目は、まさにそんな感じの写真です。カメラ任せだとこうは撮れませんし、入射光式露出計でキッチリ測ってもこうはなりません。要するに「狙ってはずしている」ことをアピールしているわけです。それを思うとチョット恥ずかしい写真です。

台無し系を狙っていました

2007年6月撮影

 かつて存在したアート系の電子書籍サイトRopLibが最盛期だった頃、夏場に向けての撮影です。梅雨の晴れ間の海は風が冷たくて、さぞやビキニ姿になるのは辛かったろうと思います。

 なにぶん、徒手空拳の個人が後ろ盾も無くやっている撮影でしたから、現場にいるのはモデルだけでした。たまにプロの撮影クルーと行き会うことがありましたが、メイクさん、スタイリストさん、マネージャーさん、アシスタントさんなど、5~6人が動いているのが普通でしたから、格の違いを感じたものです。有望株のタレント候補生なら、沖縄ロケにでも行くでしょうから、首都圏の海岸で撮影を済ませるのは、まだまだ駆けだしの人だったろうと思いますが、それにしても現場のクルーがカメラマン一人だけなんてことは無いのでした。

 RopLibでは、名だたる本職のカメラマンが、名の通ったタレントさんの水着写真集を販売したりしていましたから、それと同じサイトに自分の写真集が掲載されるのは痛快でした。いまやRopLibはサービス終了してしまい、その頃に買った電子書籍を再生することさえ不可能になっています。儚い夢でした。

 その当時、私は「たぬき写真工房」というブランドで、素人カメラマンである私が撮った、素人モデルの水着グラビアを出して、RopLibのなかではそこそこ人気が出た作品もあり、ちょっと話題になった作品もありました。

 タレントさんにとって、グラビアアイドルは通過点です。グラビアで人気が出たあとは、たいがい歌手や女優になって、そちらが本業になるものです。

 素人モデルの場合、事情は様々ですが、電子書籍のグラビア写真集を到達点とする人もいます。RopLibで有名タレントさんの写真集と自分の写真集とが(別枠でしたが)同時に掲載されたことが「若き日の想い出になった」といって満足した人もいました。

 素人グラビアに出演するなかには、水着写真集を踏み台に他方面での活躍を図る人もいました。その動機付けはタレントさんの場合と同じですね。違うのは、素人モデルはセルフプロデュースだという部分です。清楚系御嬢様とか、溌剌系ボーイッシュとか、そういうキャラ付けを彼女らが自分自身でやっているのです。

 今回の投稿で御披露したモデルさんは、台無し系ハチャメチャという方向で売り出せたら良いなと私は目論んでいたのですが、このお姉さんは、ちっとも地金を隠そうとしない人なので、ちょっとアテがはずれました。カメラの前で可愛く見せることができる変身時間は極めて短く、地金をまる出しにして悪ふざけする時間の方が圧倒的に長い人でした。海で撮影しているとき、カメラに海水をぶっかけようとしたのがバレて、ゲラゲラ笑っていたのは、いまも鮮烈に記憶しております。つまり、「美人が台無し」ではなく、無茶苦茶やるコが一瞬だけ可愛らしさを見せる……という路線が正解だったのかもしれません。

 この人とは、もう10年以上も顔を合わせておりませんが、いまも元気な様子です。

twitter.com